最新HIV/AIDS情報総論

〜現況と将来について〜

慶應義塾大学医学部 加藤雅志

§ AIDSとは

 HIV(Human Immunodeficiency Virus ,ヒト免疫不全ウイルス)を病原体とする感染 の全経過をまとめHIV感染症という。その症状は、感染後まもなく一部の患者にみる急性 症状から、急性期症状の有無にかかわらず、これに続く無症状感染、さらに病期が進行 オて細胞性免疫能の低下をきたし、特異な日和見感染症を発症したり、二次性悪性腫瘍の ュ生あるいは神経障害を発現するなど多彩な様相を呈する。本症の本質はHIVがCD4陽性細 E(主としてリンパ球)に感染し、免疫担当細胞の機能障害や破壊をきたす結果、免疫不 Sに陥ることにある。
 AIDS(Aquired Immunodeficiency Syndrome)は病原体発見以前に定義された疾患概念 ナあるが、現在ではHIV感染症の経過のうち日和見感染症や二次性悪性腫瘍あるいは神経障 害を伴う病態に相当するというのが我が国の考え方である。
 本症は1981年アメリカで発見され、その病原ウイルスは1983年初めて分離されたが、現 在のところまだAIDSに対して根治させる治療法は見つかっておらず、WHOを中心とす 髏「界的制圧の努力にもかかわらず着実に全世界に拡大流行しつつある。


§ 世界におけるAIDSの状況

 WHOとくにUNAIDS(The Joint Nations Programme on HIV/AIDS;HIV/AIDSに関する国 A合同プログラム)は世界各国からの報告に基づき、世界各国の患者報告数を発表すると ニともに、HIV感染の流行状況の分析結果や、将来予測に関する情報の提供を行っている。

世界のAIDS患者数(詳しいデータやグラフが見たい方はクリックして下さい)< BR>

 1996年11月20日現在、世界保健機関(WHO)によると、全世界で1,544,067 lのAIDS患者が報告されている。しかし、実際には世界のAIDS患者発生数累計は約840万人 と推計されている。地域別推定AIDS発症累積患者数は、アフリカの占める割合が最も 大きく75%、北米8%、中南米7%、ヨーロッパ4%、アジア6%、オーストラリアとニュージ ーランド1%以内であると推定されている。また、成人の推定HIV感染者数は、6700万人、 子供の推定HIV感染者数は、1700万人で合計8400万人と推定されている。そして,約60 0万人が既に死亡しているとみられている.感染者のうち、女性は約900万人以上とみられ 、女性の感染が過去と比べて急増している。
 世界のAIDS流行の疫学的状況は地域により著しく異なっており、WHO資料によれば、地 謨ハの現状は次のとおりである。

(北アメリカ、西ヨーロッパ、オーストラリア)
 これらの地域ではHIV感染は1970年代末期から1980年代初期にかけて著しく拡大した。 エ染経路の多くは男性同性/両性間の性的接触 、静注薬物濫用者(IDU:injecting drug users)及びその性パートナーである。血液製 ワは現在では安全とみなされる。各国とも近年異性間感染が次第に増加する傾向がみられ A母子感染は比較的少ない。

(ラテンアメリカ、カリブ海地域)
 この地域では1970年代末期から1980年代初期にかけてHIV感染の拡大が始まった。当初 ヘ男性同性愛者又は両性愛者が中心であったが、1980年代中頃から異性間性的接触による エ染が増加してきた。カリブ海諸国では既に異性間感染が主体となっている。

(サハラ以南アフリカ)
 この地域もまた、1970年代中期から末期にかけて流行が拡大した。 HIV感染の大部分が 異性間性的接触によるもので、その1/2〜2/3は東及び中央アフリカ地域で発生している。 男:女比はほぼ1:1、出産年齢女性の感染者数は数百万人といわれ、母子感染による小児 の感染が比較的多い。献血HIV 検査体制の不備な多くの地域では、輸血による感染がまだ起きている。IDUの感染は極め ト少ないが、不潔な注射針や皮膚刺通器具などによる感染もみられる。なお、西アフリカ n域にはHIV-2の流行が認められる。

(南及び東南アジア)
 HIV感染は遅れて始まり、1980年代中期から後期にかけて拡大し、患者報告はまだ極め ト少ないが、流行は急速に進んでいる。最近、特にタイ、インド、ミャンマー、中国雲南 ネなどでは、異性間性的接触及び静注薬物濫用によるHIV感染者の増加が著しい。タイでは 1987〜88年にIDUの間で爆発的なHIV感染が起こり、続いて売春婦の間に急速に拡大し、最 近では一般家庭妊婦の感染率の上昇もみられている。この地域で生じるであろう感染爆発 が現在非常に憂慮されている.

(東アジア、太平洋地域)
 この地域でもHIV感染は1980年代初期に遅れて始まり、まだ流行の初期段階と考えられ 骰早Xが多い。当初は、欧米、東南アジアなど流行地域の感染者との性的接触あるいは輸 血液凝固因子製剤による感染であった。国により主要なリスク要因は著しく異なる。総 フ的に流行の進展は遅いが、太平洋諸島地域では人口当たりの感染率の高い国もみられる B

(その他の地域)
 東ヨーロッパは従来HIV感染の報告は極めて少なかったが、自由化に伴い、最近、次第 ノ報告が増加している。ルーマニアにおいては輸血による乳幼児のHIV感染集団発生が報告 された。中央アジア・北アフリカ、中東地域においてはHIV感染は概して少ないが、一部 フ国においては売春婦に高いHIV感染率が報告されている。

 今後の動向は世界の地域により著しく異なると思われるが、異性間性的接触による感染 が最も主要な感染様式になると考えられる。このような状況で推移すると、2000年には、 全世界の子供を含めた全HIV感染者の累計は4,000万人に達すると予測されている。
 また、2000年には、全世界で成人AIDS患者の年間発生数は約100万人、このうち1/2はア フリカで発生し、その累計は1,000万人に達すると予測されている。子供については、こ 黷ワでに150万人が感染し、今世紀末までには、500万人が、AIDSによって片方の親 るいは両親をなくすとみられている。


§ 日本におけるAIDSの状況

 わが国では1985年初めてAID患者が確認されて以来、サーベイランス委員会によって 患者のみならず感染者の発生状況が把握されている。1989年2月17日に「後天性免疫不全 ヌ候群の予防に関する法律」が施行され、医師の届け出が義務付けられたが、凝固因子製 ワによる感染者や患者は届け出対象から除外されている。1996年10月現在の日本のAIDSの 況は以下の通りである。

(詳しく見たいデータやグラフをクリックして下さい)

年度別日本におけるHIV感染者、AIDS患者数


日本における異性間の性的行為によるHIV感染者、AIDS患者数



血液凝固因子受注によるHIV感染者、AIDS患者数

1996年10月でのわが国の流行の特徴としては、(1)患者・感染者は1991年以降急増傾 向にあること、(2)患者・感染者の大半が、凝固因子製剤による感染症例であること( 香F厚生省研究班の報告に基づく)、(3)同性間性的接触(男性同性愛)にかわり、異性 間性的接触が性行為による感染の主流となりつつあること、(4)日本人で、男性女性と 烽ノ国内で感染する事例が増加し、大半を占めていること、(5)日本人男性は20〜40歳代 に感染者が多く、女性は20歳代に集中していること、(6)1990年に入ってから、母子感 事例及び静注薬物濫用事例の報告が現れたこと、などが挙げられ、わが国のHIV感染者流 行は新たな局面を迎えつつある。


§ HIVの感染経路

AIDSの病態はHIVが皮膚の傷口や口、性器などの粘膜から侵入し、人間の免疫機構を破 壊することによって生ずる。現在、AIDSは、感染症であるということと様々な誤解のため に恐れられているが、HIVの感染源や感染経路は正確にわかっており、しかも感染力もそ 黷ルど強くなく、B型肝炎ウィルスに比べるとその感染力はわずか100分の1程度だといわ 黷トいる。従って、いたずらにAIDSを恐れないためにも、感染に対する正確な知識を持つ アとが大切なのである。
 HIVは患者および感染者の血液、精液、膣分泌液、母乳、などの体液のほか、組織や臓 にも含まれているが、感染源として重要なものは血液、精液、膣分泌液である。従ってH IV は主として性行為および血液媒介によって感染し、まれに母乳感染も知られる。しかし、 唾液感染や昆虫媒介感染はない。

1)性行為感染:HIVの主要感染経路であり、アメリカ、ヨーロッパではAIDS患者の70〜80 %が同性愛ないし異性愛の男性であり、アフリカではAIDS 患者の約80%は異性間性的接触によるとされる。男性同性愛行為による高い感染率は肛門 性交によるところが大きい。

2)血液媒介感染:HIV感染者の血液を非感染者に輸血することによって推定90%以上の確 立でHIV感染が起きるし、HIV感染者の血液から作られた血液製剤である凝固因子製剤の輸 注によっても感染した。我が国では、献血血液のHIV抗体検査(1986年11月以降)と凝固 子製剤の加熱処理(1985年7月以降)が行われるようになって以来、輸血用血液による感 染は、完全とはいえないまでも防げるようになった。しかしながら、感染があったときか ら抗体検査で検出されるまでの期間(ウインドウピリオド)を現在の技術ではなくすことは できず、日本の輸血用血液は世界的にみて最高水準の安全性があるものの、極めてまれと はいえ感染する危険性がある。事実、輸血用血液の抗体検査開始後、輸血が原因と考えら れるAIDS症例が一例あり、この患者は1988年に濃厚赤血球の輸血を受けたことが分か っている。その他汚染された臓器の移植、注射の回し打ち、不潔な入れ墨、まれには医療 事故などが感染の原因となりうる。

3)母子感染:その多くは経胎盤または産道感染であるが、母乳感染もある。アメリカの イ査では、小児のAIDS患者の感染要因のうち、約80%は両親のうち少なくとも1人以上がAI DS患者かHIV感染者であり、さらに、その80%は母親がHIV感染者であったとされる。また 、母親が感染している場合には、生まれてくる子供のうち20%がHIV感染しているとも言わ れている。


§ HIV感染後の症状

 HIV感染が成立すると、平均6〜8週後に患者の血液中HIV抗体が検出される。その時 に先立って急性症状を呈するものが少数に認められるが、大多数の感染者は無症状また ヘ特に気づく症状のないまま経過する。一部の感染者にみられる急性症状は感染後2〜8週 oってから出現するが、一過性の伝染性単核球症様症状あるいは流感様症状で、2〜3週間 アいて自然に消退し無症状期(AC:asymptomatic carrier,無症候キャリア)に入る。この潜伏期間は感染者によって異なる。 HIV感染後A IDS発病までの潜伏期については平均8〜12年といわれており、詳しくみてみると、2〜3 Nで約10%、5〜6年で約30%、8〜10年で約50%がAIDSを発症し、20年以内に感染者の9割 ェ発病するという推定である。またHIV感染後AIDS発病率は年平均5〜7%とする報告もある 。
 なお、最近はHIVに感染しながら長期間AIDSを発症しない長期末発症例の存在が注目さ 黷トいる。
 その後、種々の期間の潜伏期を経て、持続性全身性リンパ節腫脹(persistent generalized lymphadenopathy,PGL)を呈するものがあり、さらに1か月以上持続する発 M、持続する下痢、10%以上の体重減少、倦怠感、盗汗などの非特異的症状が現れるが、 アの持続状態がAIDS関連症候群(ARC:AIDS related complex)と呼ばれる。ARCには軽度の症状発現からAIDSに近い病態までが含まれ る。さらに進行してCD4陽性リンパ球が減少し、細胞性免疫能が高度に障害されると、抵 R力が低下して各種日和見感染症、悪性リンパ腫、カポジ(kaposi)肉腫、神経障害など 発症してくる。この時期がAIDSと呼ばれる病態であり、複数の日和見感染症を併発して 「ることが多く、症状は多彩かつ重篤である。


§ 予後

 HIVに対する特効的薬剤のない現在、AIDS患者の予後は極めて不良である。発症した 日和見感染症の治療が進められ、一時的に好転しても再発を繰返しやすく、あるいは他の 日和見感染症を合併して、次第に増悪していく。そして、治療をしなければ平均2年で約7 5%が死亡するといわれている。
  たしかに、確かに、現在のところAIDSを完全に治療する方法は無い。しかし、潜伏期 ヤのうちから適切な予防措置を行なえば、発病を遅らせることにより寿命を延ばすことが ナきるようになり、クオリティ オブ ライフ(生命の質)もより良く維持することがで ォる。また、日和見感染症などの症状が現れエイズが発病しても、それぞれの症状に対す 髑ホ症療法もかなり進んできている。
 実際に用いる薬は、逆転写酵素阻害剤としては、日本では「AZT(ジドブジン)」「ddI (ジダノシン)」「ddC(ザルシタビン)」が認可されている。この剤以外に、アメリカ ナは、D4T、3TCという薬がすでに用いられている。ただし、どの薬も比較的副作用が強く A耐性ができやすいので、2〜3種類を同時に使用するカクテル療法が行われている。
 そして、今もっとも期待されているのが、リトナビル、サクナビルなどのプロテアーゼ 阻害剤である。
 また、免疫力を高める薬なども補助療法として用いられる。


§ 予防

 AIDSの治療やワクチンの見通しが立っていない現在は予防が重要である。
 AIDS予防は、すなわちHIV感染予防であり、その中心はAIDSに関する知識の徹底した普 yと危険行動の変容の促進である。個人的予防は感染経路の遮断であり、社会的には患者 竓エ染者に対する理解であり、医療的には事故防止である。
 主要な感染経路のうち血液媒介感染については、献血時血液のHIV抗体検査の徹底と凝 ナ因子製剤の厳重な管理によって感染経路が完全とはいえないが遮断された。静注薬物濫 pによる感染は、欧米では麻薬常習者の注射器共用による感染であり、国によって異なる ェ約20%を占める。わが国では薬物(主に覚醒剤)の静注濫用による感染はまだ少ないが A今後増加する可能性もありうるので、監視を要する。
 性行為感染は全世界で7割〜8割を占める。男女とも不特定多数の相手との性交渉は危険 であるが、特に肛門性交などのように出血を伴いやすい性行為の場合には感染率が高い。 いずれの場合にも正しいコンドームの使用は予防に有効である。
 母子感染は将来増加が予想され、その予防は重要である。HIV感染妊婦の出産における 驩、切開は児の感染のリスクを低減させる。また、母乳哺育は避けることが望ましい。
 医療機関では、感染防止の手引きを日常診療に活用して事故発生防止に努めるとともに 事故を想定してあらかじめ対応を定めておく必要がある。
 社会的対応として患者や感染者に対する広い理解とプライバシーの保護に配慮する必要 がある。


§ おわりに

 AIDSは、ほかの病気と比べて特に怖い病気ではない。なぜなら、根本的な治療法の ネい病気は他にもたくさんあり、また、性行為によって感染する病気もたくさんあるから ナある。AIDSは正確な知識があれば、むしろ予防しやすい病気なのである。
 しかし、アメリカでは正確な知識が普及していなかったことと、差別や偏見がAIDS対策 への取り組みを遅らせ、多くのHIV感染者が社会から隠れ、その結果として、AIDSが蔓延 オてしまった側面がある。
我が国においても、身近にHIV感染者がいてもおかしくない時代がもう既にやってきてい 驕B現状において、AIDSに対する正確な知識を持ち、HIV感染者・AIDS患者と共に生きる社 会づくりをすることこそが、我々に必要であると思われる。そして、そのことが、AIDSの 蔓延を防ぎ、AIDSの克服につながるのである。つまり、AIDSについて「知る」ことこそが 、AIDSに対する最高の薬なのである。


参考文献

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